紅月千里のホラーな話し

紅月千里の体験談を元にした小説や創作小説の書庫

予定外の出産、そして新居へ

ボロい家(失礼)を前に、何故かノリノリの彼と彼の一家。私は何も言えなくなった。

 

あまり人の話を聞いていない気もするが、基本はいい人たちだからまぁ何とかなるだろう。何より多頭飼育している猫と住むため選り好みはできないだ。そう気持ちを切り替えて、引っ越しの準備を淡々と進めていった。

 

新居のリフォームは着々と進んでいき、私は住んでいた極小の一軒家で引っ越しの準備をぼちぼちしながら暮らしていた。


出産予定日まで残すところ1ヶ月。荷物をあらかた箱詰めし終わり、拭き掃除をしていたその時。それは突然にやってきた。

 

「へぇっくっしょい!」

 

盛大なくしゃみが出た。そして下腹部の違和感に思わず「あっ!」と驚いた。

 

超特大のくしゃみと拭き掃除。妊婦にとって、こんな最悪のコンビネーションがあるだろうか?私のお腹は耐えられなかった。

 

お腹にガッツリ圧が掛かってしまい、まだ出産1ヶ月前だというのに盛大に破水してしまったのだ。

 

ザバザバと溢れる羊水。
「えーと」脳が思考を停止している。

 

水は低い方に流れるんだっけ。だったら横になってみたらどうだろう。少しは流れる勢いが収まらないだろうか?

 

なんとかの浅知恵。羊水は横になっても溢れてくる。私の腰周りはすぐにビショビショになって背中まで濡らしてしまう。恐るべし破水。

 

出口を上に向けたら、いや待て、私は逆立ちできない。というかでかいお腹で逆立ちできるものなのか?いやいや、妊婦が逆立ちってヤバいだろ、絵面とかバランスとか色々と。

 

完全に予定外の出来事に動揺した私は、羊水の水溜まりの中で出産経験のある友人千鶴に電話した。


「千鶴さん、ちょっと聞きたいんだけどさ~」
「あら、千里。どうしたの?」
「今日さ~、掃除してたんだけどさ~」
「ウンウン」
「くしゃみ出ちゃってさ~」
「ウンウン」
「破水しちゃったみたいでさ~。これどうしたらいい?」
「なっ!」
電話の向こうから驚愕の声が聞こえた。

 

「今夜病院に行ったほうがいい?それとも明日診察時間が始まってから病院行ったほうがいい?」
「えええええっ、何言ってるの?今行け!すぐ行け!」

 

千鶴に病院に行けと言われてしまった。

そうか。

破水したら病院に行くのか。

 

まずいな、これからお産の準備しようと思ってたのに。夫に準備をお願い出来るだろうか?不安な気持ちのままお礼を言って電話を切った。

 

そして夫に電話した。
「どうした?」
「あ~ごめん、仕事中に。」
「いや良いけど」
「えっとね~、破水しちゃったので帰ってきてから病院に連れてってほしい。」
「は?破水?」
「うん破水」
「えっ?マジで?」
「マジ」
電話の向こうで焦る夫。

そうだよね。前倒しにしても1ヶ月は早すぎる。

 

「で、羊水サバサバだから、何か車のシートに敷くものを準備してきてほしい」
唖然とする夫に電話して大急ぎで帰ってきてもらい、そのまま病院に向かった。当然すぐ入院になった。

 

破水したため感染を予防する為に抗生剤を飲み様子を見ること1日。その間、病院の売店で必要なモノを揃えるというウキウキ感が皆無の準備をした。

 

陣痛が起きる様子もないので人工的に陣痛を起こして無事出産。予定日より1ヶ月も早かったため病院に子供はあまりにも小さく私の退院後さらに1週間入院することになったのだった。

 

そして私が病院で入院している間に例の新居のリフォームが終わった。

 

そして、引越しという大騒動が出産1週間たった自分の最初の仕事になった。とは言え当然だが体は出産でボロボロ。ほとんどの引越しを夫に任せることになった。

 

しかし猫の引越しは飼い主の自分でないとできない。それは動物を飼ったことのない夫には荷が重すぎる。

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8匹の猫たちを捕まえて落ち着かせながらキャリーバッグに入れて、移動させて、新しい部屋で落ち着かせる。猫を順次引っ越しさせては入院している子供のところに帰り授乳して泊まり、また次の日に猫を引っ越しさせて病院に戻るという生活を1週間した後、子供が無事退院することになった。

 

そして帰ったのは先に夫が待つ「あの家」だった。

 

しかし出産後すぐに猫の引っ越しをするというドタバタですっかり家の中で聞こえた声のことは私の中では本当にもう、どうでもいい事になっていた。

 

退院した新生児を抱っこして新しい我が家の玄関から入った。自分の頭の中には早く子供をベッドに寝かせて子供を休ませたいし、自分も一息付きたいということしかなかった。

 

そして家の中に入った時に何も声がしなかった。

なるほど。
あれはたまたまそういう霊が通っただけかもしれないな。

 

人間が集団で移動することだってあるのだ。修学旅行、ツアー旅行、ティッシュペーパーが品薄になるかもしれないという嘘にパニクった人々がスーパーに列を成して買う。

 

人間がそういうものなら、霊だって何かしら理由があって集団御一行様が通ることだってあるだろう。呑気な私はそう一安心して横になって休んだ。

 

新生児も疲れているのかよく寝てくれていた。しかし私は夜中の2時に目が覚めた。

 

なんかうるさい。

 

横で寝ている夫のいびきもうるさいのだが、違ううるささが気になった。

 

ガーン、、、、、
ガーン、、、、、


微かに何かを叩く音が聞こえる。少し遠くから音が響いてくる。何か声も聞こえてくる。

 

こんな夜中に何事か?横の夫を見る。寝てる。そりゃそうか、地震が来ても全く起きない人だからな。このくらいの音では起きるばずもないか。

 

しばらく聞いていると、何かを叩く音はドラの音だなと見当が付いた。そして声は熱心に読経をあげている声だ。しかも声の主は1人ではない。十数人から数十人という感じの集団だ。

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ガーン、だ~ら~は~ら~
ガーン、は~ら~ひ~ら~

 

どこか近所から真夜中に集団で読経を大声であげているのだ。しかも段々と読経は熱を帯びていき、声が大きくなって行く。

 

部屋を移動すると、少し声が遠くなる。


寝ている部屋は北側の方、居間は南側で居間に移動するとかなり声が小さく聞こえた。という事は北側のどこかのお宅で読経を上げる会が何かをやっているという事だろう。

 

そんなご近所さんがいるなんて聞いてないし、こっちは体調がまだ悪いし、いやほんと勘弁して欲しいわと半分ぐったり、半分怒りでうんざりしながら読経を聞いていた。よくご近所から苦情が行かないものだ。こんな大らかなご近所なら子供が夜泣きをしてもスルーしてくれるだろう。

 

1時間以上経っただろうか?ふと気がつくと読経を上げる声もドラを叩く音も聞こえなくなり、やっと静かになった。これで眠れる。

 

もちろんこの寝ようとするタイミングで赤ちゃんが起きてしまい、うとうとしながら授乳をすることになるのは当然のお約束である。

結婚して旦那親戚の持ち家に引っ越したら幽霊屋敷でした。旦那親戚の持ち家

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よくあるじゃないか。
家に入った瞬間に視線を感じたとか、寒気を感じたとか。

 

私がその家を見た第一印象は「汚い家だな、こんなところに住むのか・・・」という不快感だった。

 

私は当時32歳。恥ずかしながらできちゃった結婚をしようとしており、その日は丁度いい物件を彼の叔母が持っているから見にいこうと言われて出かけていた。

 

早く家を見つけて落ち着きたいという気持ちもあり、新生活への期待も夢もある程度持ち合わせている結婚間近の女性だった。

 

築30年の木造適当建設。古さが悪い意味で家の外観にも内観にも現れている家がそんな淡い夢を粉砕した。

 

そんな私の表情に気付くこともなく彼と彼の両親と親戚のおばちゃん(家主)はニコニコしていた。

 

私はどうにでも取れる微妙な表情を浮かべつつ、非常に申し訳ないのだが、よくこんな古い家に住めと堂々と勧められるなと思った。自分だったら「無理して住まなくてもいいよ、古いし汚いし」と逆に申し訳ない気持ちになりそうなもんなのだが、彼らはめっちゃ自信満々にいい物件でしょう?って推してくる。

 

マジで意味わからん。
断りたい。心底断りたい。


いや普通ならいつもの私なら断る。

だか断れない理由があった。

 

一つは私が妊娠していて夫となるであろう彼の稼ぎのみで生活していかなければならないということ。とても給料が低いという訳ではないが、収入面で不自由しないというほど多い訳ではない。単純に私の稼ぎと夫になる彼の稼ぎはほぼ同じ金額。それで暮らしていた二人が、これからは夫一人の給料でしばらく暮らしていかなければならないことが不安だった。家賃は毎月確実に出ていくお金だ。低ければ低いに越したことはない。

 

そしてさらに私が猫を多頭飼育していることが更に難易度をあげていた。猫を8匹飼育している私にOKしてくれる物件などそもそも存在しない。

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彼の母が熱く語る。「この家は日当たりもとてもいいし、市の中心地で便利もいい。何かあれば隣に住んでる私たちがいつでもサポートできるし安心して子育てできるわよ♪」

 

確かに日当たりはいい。1年後にでかいマンションが立って真っ暗になってしまうのだが、その時の私はそんなこと知る術もない。

 

そして繰り返すが、私には選択肢がない。

腹を括れ、私。

 

出産後落ち着いたら仕事に復帰できるし、そしたら生活に余裕ができる。生活に余裕ができればゆっくり新しい住処を探せばいい。もしかしたら自宅を建てることだってできるかもしれない。そしたら猫の多頭飼育など問題ではない。

 

ならば私ができることは、ここで要らぬ波風を立てずにうまくやって行くことだ。私はニコニコと将来の義母と叔母になるであろう方々と「そうですね~!便利そうですね~」と相槌を打った。

 

中の様子を確認するために私は玄関から靴のまま家に上がった。足元が資材や釘が散乱していて危ないのだ。和室を洋室にリフォームしている部屋に一歩踏み入れた瞬間。

 

ひそひそ。
ひそひそ。

人の囁き声が唐突に耳に入った。
声の感じからして女性の声だ。

 

何を言っているのかは内容までは解らない。かといって気のせいと思えるほど微かでもなく、結構聞こえるのである。

 

言っておくけど、私には霊の声が聞こえるほどの霊感はない。霊感ゼロというほどゼロではないが、普通にしていて見えたり聞こえたりするほどの素養はない。しかし明らかにひそひそと話す声が聞こえるのだ。

 

彼母か?彼の伯母か?


いやいや彼女らは大声で先ほどから私に話しかけている。そもそもひそひそ声は壁一枚隔てた部屋の向こうから聞こえてくる。たくさんの人が声を潜めているにも関わらず、わざと聞こえるように話している。そんな雰囲気だった。

 

私は彼に言った。
「人の話し声が聞こえるんだけど」

彼は何を言ってるのか私の意図を掴み損ねているようだ。キョトンとして「何?」と返してきた。

 

「この家、人の話し声がする。特に女の人の声が聞こえるけど、それだけじゃなくてたくさんの人の声がするんだけど」と彼にもう一度言ってみる。だが彼の返答は予想通りのものだった。

「近所の人の話し声じゃない?」

 

彼にも、彼の両親にも、彼の叔母にも何も聞こえていなかった。

 

私も初めての経験に、これ以上彼らにどう訴えていけばいいのか判らず困った。

 

これ以上声が聞こえるなんて言ったら、彼の嫁になるやつは頭のおかしい女と思われかねない。妊娠中で神経質になっていると思われるのも不本意だ。

 

これから新しく家族になろうかという時に嫁がイカれてるとか神経質とか思われるのは、今後の関係を築いて行くのに全くよろしくない。

 

そして忘れてはいけない。猫の多頭飼育できる物件など無いのだから選択の余地はないのだ。私にとっては今飼っている猫たちと一緒に暮らせること、そしてお腹の中にいる赤ちゃんのために住まいを確保することが一番大切なのだ。

 

とはいえ心の片隅に、これから子供を産み育てる家が誰かの声が聞こえる家で本当に大丈夫だろうかと疑問がよぎった。

 

「この家は兄貴が生まれた時に親父が建てた家なんだよ」

夫が心持ち懐かしさを滲ませて言った。

「親父たちが今の家に住み出してからは、兄貴と2人で住んでたんだ。兄貴が結婚してからは一人で住むのも何だから、他の人に貸していたんだけど、またここに住むことになるんだな」

 

私に向かって話したようでもあり、自分自身に言い聞かせているようでもあった。

 

と言うことは、この家は事故物件ではない。

 

彼の両親も兄弟も住んでいたのだから、この家に取り憑いているというわけではないのだろう。たまたま私にくっついてきただけで、そのうち声とか聞こえなくなるんだろう。

 

「そうだね・・・」
私はどうにでも取れるような曖昧な相槌を打った。

 

私はどこからか微かに聞こえてくる囁き声を聞きながら、それを無害と判断し、それ以上何も言わず彼の親戚の持ち家に住む覚悟を決めたのだった。